その2・昭和34年〜昭和40年




1959年 昭和34年
相愛オーケストラ第1回演奏会が、斉藤秀雄教授の努力
により実現しました。プログラムはこちら

(卒業生談)35年に聖歌隊が出来ました(伴奏・南部明子)。
(S37年卒業生談)北海道・北陸・広島〜九州へ演奏旅行
に行きました。




昭和35年に誕生した二代目「相愛坂」↑ ↓


上の写真の大きな通りが御堂筋です。当時は、津村別院の隣に
正門があり、女学生たちは、御堂筋側から坂を上って登校しました。
下の写真は、坂の下から撮った校門の正面です。
この坂は、「相愛坂」と呼ばれ、相愛学園の象徴でしたが、昭和43年
に姿を消します。
下は、最後の相愛坂の写真。

この写真の後ろにある樹は、戦火に焼かれた後によみがえって
芽吹いたもので、この樹の下に、今小路先生の書かれた文章、
「ゆかりの公孫樹に寄せる歌」が、戦前の校舎の礎石に刻まれ
て据えられていて、現在は本町学舎校庭に移建されています(下)

刻まれている文面はこちら

相愛坂のカラー写真はこちら(大きな写真です)
昭和40年前後の卒業式の日の写真だと思われます。



刑務所慰問(昭和37年頃)
新聞記事全文はこちら




1963年 昭和38年
アメリカへの演奏旅行がおこなわれました。

アメリカ演奏旅行の様子


この頃の教授陣は次の方々です(敬称略)
(指揮)山田耕筰 斉藤秀雄 小沢征爾(指揮助手)
(作曲)池内友次郎 矢代秋雄
(ピアノ)井口基成 井口愛子
(声楽)伊藤京子 栗本尊子 山田真梨子 
         伊藤亘行 柴田陸睦
(ヴァイオリン)鷲見三郎 辻 久子
(チェロ)斉藤秀雄
他 多数

山田耕筰先生(右) 

 (左)井口基成先生

池内友次郎先生(右) 

 (左)柴田陸睦先生


昭和37年より38年にかけて、豊中寮・雲雀丘寮・豊中
総合グランド・若狭高浜海の家があいついで開設され、
学園施設の充実が見られました。

(右)豊中寮 


下の写真は、昭和40年5月20日、ご門主を始めとする多数
の来賓を迎えての「復興記念式典」の記事。




1964年 昭和39年
第1回大学祭が行われました。(学生会会長 吉永清子さん)



1965年 昭和40年
12月29日 山田耕筰先生がご逝去されました。

(S40年卒業生談)和歌山へ演奏旅行に行きました。



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