1966年 昭和41年
山田耕筰先生の学園葬が行われました。また、フェスティバル ホールにおいて、山田先生の追悼演奏会が行われました。 ドイツ文学者の石倉小三郎教授の書(下) 拡大写真と解説は、こちらをご覧下さい。 (S41年卒業生談)岡山県津山市 作陽でのコンサート がありました。 (S42年卒業生談)鹿児島県公会堂のこけら落としに出演しました。 同行は伊藤京子、伊奈和子、久保田清二、林 雄一郎、大橋 博、 柳瀬 孝の先生方でした。 1968年 昭和43年 10月18日 音楽学部同窓会「沙羅の木会」が、同窓会の部会として 誕生しました。(初代会長・切田梅尾さん) 同年、沙羅の木会豊能支部も誕生しました。 昭和43年当時の先生方と、授業の様子。 指揮は林 雄一郎先生(左) (S43年卒業生談)東北〜東京へ演奏旅行をしました。 御堂ビルに大阪万博の事務所があった為か、必ず万博の歌 を歌い宣伝してきました。 演奏旅行の様子↑↓。仙台駅で栗本尊子先生を囲んで(上) 昭和44年、泉州支部・阪神支部・明石支部・奈良支部 昭和45年には三島支部・神戸支部と、沙羅の木会の支部が 続々と誕生しました。 昭和44年には、第1回総会・名称「沙羅の木会」に決定しました。 (於 本町学舎音楽室) 「沙羅の木」たより第1号発行(昭和46年) (S45年卒業生談)岡山・尾道への演奏旅行がありました。 (S47年卒業生談)四国へ演奏旅行に行きました。 1974年 昭和49年 5月10日 今小路理事長(学長)が、学園復興という大業を果たして 退任されました。 兵庫県民小劇場にて、沙羅の木会コンサートが開催されました。 1980年 昭和55年 森川昇卿先生が、学長に就任されました。 3月20日、第1回沙羅の木会合同発表会が開催されました。 1981年 昭和56年 大阪市より南港ポートタウンの一角を譲り受け、11月25日、 南港学舎の起工式が行われました。 拡充資金確保のため、学園あげての募金活動が行われました。 沙羅の木会からも、スタインウェイ・フルコンサートピアノを 贈呈させて頂きました。 拡充記念演奏会のチラシと、コンサートの様子。 指揮・尾高忠明/フルート・金 昌国/ハープ・篠崎史子 ピアノ・弘中 孝/チェロ・堤 剛 1982年 昭和57年 3月12日 相愛女子大学として、最後の卒業式が行われました。 4月16日 男子9名が入学し、相愛大学(共学)の出発です。 1983年 昭和58年 4月より、相愛大学は、南港学舎へ移転しました。 長い歴史を持つ本町学舎では、今も変わらず高校中学の 生徒たちが学校生活を送っています。 昭和59年沙羅の木会総会の様子 ↑ (小野功龍先生のお世話で、雅亮会の皆様に 雅楽を演奏して頂きました) 昭和60年沙羅の木会総会の様子 ↑ (豊嶋流能楽を披露して頂きました) 1987年 昭和62年 南港学舎ホールが竣工されました。 新しいホールの完成を知らせる新聞記事と、ホールの パイプオルガン。 このページは漸次更新して行きます。昔のお話をご存知でしたら、また、 珍しいお写真などございましたら、ぜひお知らせ下さい。 皆様のお力をお貸し下さい。お待ちしております。 その2・昭和34年〜昭和40年のページへもどる |