平成16年(2004年)10月14日産経新聞記事より

わが心の声楽〜歌い続けて80年

15年ぶりに音楽活動再開
(声楽家・嘉納愛子さん/聞き手・土屋克巳記者)

●土屋 嘉納さんは戦後、音楽活動を再開し、大学で
音楽教育に貢献されました。
●嘉納 昭和二十四年から相愛女専(現相愛大)音楽
科の講師になりました。当時の相愛の今井学長が家ま
で来られて「声楽を教えてほしい」と言われたんです。
昭和九年に結婚して、嘉納の家では音楽は禁止されて
ましたから十年以上、歌ったことがありません。ピア
ノも蔵に入ったまま。そのころ、三年前に十歳の一人
息子を病気で亡くして、心に大きな穴があいたような
状態だったんです。猛烈に音楽が恋しくなりましてね。
息子への愛情が音楽の方へ向かったんでしょうかねえ。
そんな時だったので、お話を受けることにしたんです。
最初は講師で二、三年後に教授になりました。それか
ら七十八歳で大阪芸大の教授を退職するまで、四十年
近く相愛大をはじめ大阪樟蔭女子大、大阪教育大、大
阪芸大で音楽を教えました。

●土屋 嘉納さんの師匠の山田耕筰が相愛の音楽学部
長をしてます。
●嘉納 相愛の音楽科は明治時代の創設でして、大阪
の音楽教育は長いこと相愛と大阪音大が担ってきたん
ですね。その後、神戸女学院、武庫川女子大、大阪教
育大などに次々と音楽科ができて、生徒の取り合いに
なったんです。それで、主人に相談したら「山田を呼
べ」と言われ、先生を招へいすることになったんです。
当時の今小路学長が山田先生にお会いしたら、「今度
は学部長でないと行かないよ」とおっしゃったそうで
す。先生は戦前にも相愛の音楽科顧問をされてるんで
す。それで、短大から大学になり、昭和三十三年に音
楽学部長として先生が来られました。山田先生のお口
添えで東京から井口基成さん(ピアノ)、伊藤武雄さ
ん(声楽)、吉田秀和さん(音楽理論)、斎藤秀雄さ
ん(指揮)、柴田睦陸さん(声楽)、池内友次郎さん
(作曲)ら大勢の有名な先生方が教えに来られました。
そのため、他校からいっぺんに十二、三人転校してき
たんです。子供音楽教室も開設して、バイオリンの五
嶋みどりさんも来られてましたよ。
●土屋 歌手の伊藤京子さん(日本演奏連盟理事長)
も教えておられたんですよね。
●嘉納 山田先生から「若い声楽家を招きたい」と言
われましてね。その中に伊藤さんの名前がありました
ので、伊藤さんを推薦しました。先生が直接、伊藤さ
んのところへ頼みに行かれました。京子さんは頭のい
い勉強家。気さくで、腰が低くて、とっても人柄のい
い方です。小沢征爾さんも斎藤さんの助手役として来
られてましたよ。ある時、小沢さんが教員机に腰かけ
て足を組んで、アンパンを食べておられたんです。相
愛はお寺さん(西本願寺)でしょ。偉い先生がそれを
見て「コラーッ」と怒られたんです。何年か前、私の
教え子が小沢さんにお会いしたら、その時の話をされ
たそうです。相愛で教えたこと覚えてくれてはったん
ですねえ。うれしいわ。
●土屋 それにしてもすごいメンバーです。僕でも名
前を知ってる方が何人もおられます。
●嘉納 あれだけの先生方を、山田先生がひと声でお
呼びになったんです。あのころ相愛で勉強した人たち
は得をしてると思いますよ。



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