わが心の声楽〜歌い続けて80年 15年ぶりに音楽活動再開 (声楽家・嘉納愛子さん/聞き手・土屋克巳記者) ●土屋 嘉納さんは戦後、音楽活動を再開し、大学で 音楽教育に貢献されました。 ●嘉納 昭和二十四年から相愛女専(現相愛大)音楽 科の講師になりました。当時の相愛の今井学長が家ま で来られて「声楽を教えてほしい」と言われたんです。 昭和九年に結婚して、嘉納の家では音楽は禁止されて ましたから十年以上、歌ったことがありません。ピア ノも蔵に入ったまま。そのころ、三年前に十歳の一人 息子を病気で亡くして、心に大きな穴があいたような 状態だったんです。猛烈に音楽が恋しくなりましてね。 息子への愛情が音楽の方へ向かったんでしょうかねえ。 そんな時だったので、お話を受けることにしたんです。 最初は講師で二、三年後に教授になりました。それか ら七十八歳で大阪芸大の教授を退職するまで、四十年 近く相愛大をはじめ大阪樟蔭女子大、大阪教育大、大 阪芸大で音楽を教えました。 ●土屋 嘉納さんの師匠の山田耕筰が相愛の音楽学部 長をしてます。 ●嘉納 相愛の音楽科は明治時代の創設でして、大阪 の音楽教育は長いこと相愛と大阪音大が担ってきたん ですね。その後、神戸女学院、武庫川女子大、大阪教 育大などに次々と音楽科ができて、生徒の取り合いに なったんです。それで、主人に相談したら「山田を呼 べ」と言われ、先生を招へいすることになったんです。 当時の今小路学長が山田先生にお会いしたら、「今度 は学部長でないと行かないよ」とおっしゃったそうで す。先生は戦前にも相愛の音楽科顧問をされてるんで す。それで、短大から大学になり、昭和三十三年に音 楽学部長として先生が来られました。山田先生のお口 添えで東京から井口基成さん(ピアノ)、伊藤武雄さ ん(声楽)、吉田秀和さん(音楽理論)、斎藤秀雄さ ん(指揮)、柴田睦陸さん(声楽)、池内友次郎さん (作曲)ら大勢の有名な先生方が教えに来られました。 そのため、他校からいっぺんに十二、三人転校してき たんです。子供音楽教室も開設して、バイオリンの五 嶋みどりさんも来られてましたよ。 ●土屋 歌手の伊藤京子さん(日本演奏連盟理事長) も教えておられたんですよね。 ●嘉納 山田先生から「若い声楽家を招きたい」と言 われましてね。その中に伊藤さんの名前がありました ので、伊藤さんを推薦しました。先生が直接、伊藤さ んのところへ頼みに行かれました。京子さんは頭のい い勉強家。気さくで、腰が低くて、とっても人柄のい い方です。小沢征爾さんも斎藤さんの助手役として来 られてましたよ。ある時、小沢さんが教員机に腰かけ て足を組んで、アンパンを食べておられたんです。相 愛はお寺さん(西本願寺)でしょ。偉い先生がそれを 見て「コラーッ」と怒られたんです。何年か前、私の 教え子が小沢さんにお会いしたら、その時の話をされ たそうです。相愛で教えたこと覚えてくれてはったん ですねえ。うれしいわ。 ●土屋 それにしてもすごいメンバーです。僕でも名 前を知ってる方が何人もおられます。 ●嘉納 あれだけの先生方を、山田先生がひと声でお 呼びになったんです。あのころ相愛で勉強した人たち は得をしてると思いますよ。 |